Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

-件のコメント

コメントの投稿

新規

投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

祖母の死から

入院していた祖母が亡くなりました。
人の最後を見たのは義母に続き二回目の事です。
人は最後、息をしなくなり臨終と告げられます。
義母の時も、祖母の時も同じでした。

意識がなくなってからの数日、荒い呼吸を続けてきた祖母はとても苦しそうに見えました。
最後の日、時間とともに血圧が下がり、呼吸が穏やかなっていったように見えました。
そして、最後の瞬間を迎えることになりました。

ベッドの傍らに子や孫、ひ孫が勢ぞろいして見守った臨終の時はとても穏やかな時間でした。

横になっている祖母の顔は、数日前の苦しそうな表情とは異なり、何か・・やりきったような充実した顔に見えました。

今では体も小さくなり、年を取った祖母ですが、私が子供のころの祖母はバリバリと商売をする元気でチャキチャキしたイキなおばあちゃんでした。

今横たわる小さな祖母の向こうには、たくましかったころの思い出がいっぱい詰まっています。

私は祖母の入院中に、おばあちゃんとたくさんお話ができました。

もしかしたら、祖母は私を母(祖母の娘)と間違えていたのかもしれないけど、時々改めて自己紹介しながら楽しく会話ができました。

祖母は、目を細くしてよく笑ってくれて昔のことを話してくれました。
私が生まれたときの話や、東京や郷里の話、祖母の母の葬式の時の話など。
本当にいろいろ。

祖母の話に出てくるある孫が、今はそこそこ年を取っていることを話すと「まぁ」と目をまん丸くしておどろていてました。

子は何人、孫は何人、ひ孫は何人と教えてあげて、祖母がみんなに命をくれたことを心から感謝すると、にこにこしながら「あらいいのよ」と言っていました。

「もう忘れてしまうわね」と言った祖母に、私は「おばあちゃんが忘れても、私が覚えていてあげる」といいましたが、実は私も物覚えがよくないので心配です。

たくましかった祖母。美味しいご飯の事も、プールに行った事も、今もちゃんと覚えています。
初孫の私がいかに手を焼かせたか、武勇伝の様に何度も聞かせてくれたことも。


母は、祖母の最後に対して「親の教育」だといいました。
そうかもしれません。義母の死の時も思いました。
死にざま・・・というか総括した生きざまかなと。

いつか私が死ぬ時、どうしてもらいたいかな・・・・ここ数週間そんな事を考えたりしました。
わかる間は無理がない程度に会いに来てもらい、死ぬ時はそっと見守ってくれればいいかな。

~残るのは思い出だけでいいから、今をちゃんと生きておきたいと思いました。


忙しい日々の中、2012年にもなりました。
少しでも笑顔を多く、ささやかな幸せをかみしめながら生きたいと思います。

私たちが生きる時代には、放射能の問題が横たわり私はそれが時々とても悲しくなります。
問題は違えど祖母たちが生きた時代にも、何かしら大問題が存在していたはずです。(少なくとも戦争を通過していますし、大きな公害問題もあったと思います)

がんばってきた世代の人たちが私たちに残してくれたものの中のよいものを、今度は後世の子供たちに良いものを残せるように生きていかなくちゃ。

放射能の問題は今すごく深刻に思えるのですが、祖母だったら「まあ、いろいろあるけどね、大丈夫よ」って笑ってくれる気がします。









関連記事

0件のコメント

コメントの投稿

新規

投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。