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事実の必要性

人はたいていの事柄について、恐ろしくても事実を知りたいと思っています。ところが事今回の原発事故関係で事実はとても遠いところにありました。また、知ったところで個人としてはあまり対策が取れなかった現実もあります。(情報がなく、聞く側も知識がない、さらにテレビ・学者さんの安全です連呼)

もし当初から空間線量が公開され、その危険度を正しく示されていたら・・・人々は違っていたかもしれません。
福島の方々の被爆もうんと減らせたでしょうし、関東でも危険のあった日に家にとどまれたた子供たちも多かったでしょう。-----たくさんの人が今後の不安を減らせました。

福島の農業の方々に情報が早くもたらされていたら、出荷制限のホウレンソウを畑に埋めて耕したりせず、最初に除染をすることが可能だったかもしれません。

本当のことが遠くにあったため、事実は過酷で悲惨になりました。
「安全です」「健康に影響はありません」・・・・そうだったでしょうか?
信じている人が多いなら、今になって放射線を気にして測定しているお母さんが増えているはずがありません。

どうか歴史は繰り返しませんように。

人は学び、示された事実を判断し、選択し、生きていくことができます。
ゆるい基準から誰かに「安全」を決めてもらう必要はないのだと思います。

納得して生きる。-----そうしないと今は生きて続けて行くのが苦しい時代になった気がしています。





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