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結局あきらめるだけセシウム30年半減期

セシウムが降り注いだことを考えて、どうも悲しい日です。

今朝、アイロンがけをしながら、薬師丸ひろこの「Wの悲劇」をかけていました。何度も見ている作品ですが少し前にBSでやっていたので。「ああ、この当時は放射能のことなんて考えずに過ごしていたな」と思ったりして、現実が妙に悲しくなりました。

・・・まさに悲観的です。

原発事故によって放射性物質はたくさん降った!もうしかたないから、わりきろう! あきらめよう!と心に決めているつもりなのですが、時々失われているものがもったいないとか、おしいとか、嫌なことを強制されていることに嫌悪感がよみがえったりして、また自分の心を傷つけるのです。

あまりに甚大な被害にたいして、「暫定基準」が強制的に適用され、安全だからと被爆を強要されていると感じるのです。「イヤ」という言葉はヒステリーで神経質といわれ、非国民扱いになります。

住民は「イヤ」という権利がないこと。原発はこれからも動き出すだろうことに大きな意義が唱えられているのに決して聞いてもらえないこと。-------「原発がいやならテレビもパソコンも使うな。電気を使うな。」と言われます。

どんなにイヤでも個人の気持ちは世の中には重要ではなく、一握りの「特別な人種」の決めることがすべてなのでしょうか・・・。

この残酷な世の中で生きていたいなら、できるだけ静かに、イヤな事も我慢して、安全宣言を受け入れてどんどん被爆して早く死ぬこと。ただし医療費は削減して。

できるなら早く死んであげたいけど、そうもいかないのが現実です。セシウムを食べ続けていつかガンになるかもしれないけど、私はガン保険にもう入れないので家族の負担を思うと心配です。

本当に幸せはささやかでよいのに、ささやかな中にも、もう安全がなくなってしまったように感じます。
豊かな緑も、野に咲く花も、食卓のお皿の上の食品も・・・・





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